高知県中土佐町の久礼にまつわる歴史を紐解くと、13世紀中頃の資料では久礼は「加納久礼別府」として土佐一条家の幡多庄に含まれており、一条氏の久礼への注目度の高さが知れる。
また、久礼湾に注ぐ久礼川の支流で発掘された「坪ノ内遺跡」や久礼字城山下越の西山城跡から発掘された遺物などから、久礼港を中心とした海域での様々な流通・往来が、既に14世紀頃から行われていた事が分かる。さらに15世紀頃からは、佐竹氏の久礼城が久礼の中心的な城として機能するようになり、久礼城跡周辺部への人々の居住が進み、現在の久礼地域の発展の基となっている。
このように近世初頭には、城郭・家臣居住地を取り込んだ、港湾機能に重点を置く市街地が形成されており、現在の久礼港を中心とする景観はこの市街地の構造に基づいて形成されたものである。海運による交易は、久礼の町並みにも多様な文化をもたらし、”水切り瓦”や”土佐漆喰”など台風の常襲地域に住む人々の知恵と暮らしの中に受け継がれている。家屋が密集した久礼の漁師町では、玄関脇の流しで魚をさばく人々の暮らしを見ることができる。